ささやき色のあの日たち2007/09/01 00:19

地球ゴージャスプロデュース公演 Vol.9 ささやき色のあの日たちシアターコクーンで見てきた。

2人の男(岸谷五朗と北村一輝)が、不思議な場所で出会うところから舞台は始まる。2人は過去に付き合った女性の話を始める。

気付かないで終わってしまう事って寂しい。けど、気付くって事はすごく難しいことなんだよね。人はついついい?というか自分の視点から事実を観、自分なりの真実の形を見出そうとする。
客観的になんて無理なのかもしれない。だって、それも自分が思う、自分の作り出した客観だから。
ただ、考えることはできる。一つの事実を、真剣に考えることで、その姿は変化し、新しい真実が見つかるかもしれない。自分の思い込み、壁を壊すことで新しい何かが。

僕は、人と人が分かり合えるには、お互いのその努力が必要なんだと思う。辛いし、相手の事なんて分からなくて、気が狂いそうになるときだってあるけど、それを乗り越えたところに、きっと幸せがあるんだと思う。

舞台のストーリーは書かないけど、僕はそんなことを感じた。

岸谷五朗さんと北村一輝さんの言葉のやりとりもテンポ良く面白かったし、山口紗弥加さんもあんなに迫力ある演技をするんだって感動した。地球ゴージャスの講演は初めてみたんだけど、ミュージカルチックで、派手さもあるから楽しめる。また見に行こう~

作・演出:岸谷 五朗
出演:北村 一輝山口 紗弥加須藤 理彩、岸谷 五朗ほか

ロマンス2007/08/05 14:07

ロマンス
井上ひさしの新作が「こまつ座」「 シス・カンパニー」の共同プロデュースで公演される「ロマンス」。世田谷パブリックシアターで見てきた。

医師でかつ作家(劇作家・小説家)アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(1860/1/29~1904/7/15)の人生が、妹(マリア・パーヴロヴナ・チェーホワ)、妻(オリガ・クニッペル)との関わりの中で描かれている。

"ちぇーほふ"...という単語をどこかで聞いたような記憶があるくらいの僕は、この人がいったい何者なのか全く知らなかった。

彼が夢描いていた「ヴォードヴィル」。パンフレットに書かれてる記載を少しだけ引用させて頂くと、面白い筋立て。演劇的からくりを仕込んだ芝居

僕は彼の小説や戯曲を実際に読んだことはもちろんないので、この作品を観ての空想だけど、彼は人生を、現実の人生の中にある人の苦悩を描いていたのではないだろうか。ただ、それを単に悲劇的なものとしてではなく、それを乗り越えて人は生きていける勇気というものを持っている存在として人生を描く。つまり、苦悩の滑稽さのようなもの。

人は生まれながらに苦しみを持って生まれてくる。それは、人間の内側に存在するもの。これろ対比的に、「笑い」は、他・外界との関わりの中で生まれ、人間を生かし続けるものである。

チェーホフを通して、生きるということを描いているこの「ロマンス」は、彼の愛したヴォードヴィルのような演出で、笑いが生まれる。

なぜかれは医師を志したのだろうか。なのになぜ、彼は作家として生きたのだろうか。なんかもっとチェーホフという人を知りたくなった。と同時に、当たり前の事だけど、「無知」を気づかせてくれた。

出ている役者さんも演技がすばらしく、唄がいろんなシーンで出てくるんだけど、声がまたすばらしかった。

作:井上 ひさし
演出:栗山 民也
出演:大竹 しのぶ松 たか子段田 安則生瀬 勝久井上 芳雄、木場 勝己

カラフルメリィでオハヨ ~いつもの軽い致命傷の朝~2006/08/21 23:31

GOOD MORNING with COLORFUL MERRY
今年の4月に、下北の本多劇場で公演されたNYLON100℃、ケラリーノ・サンドロヴィッチの作品。今頃になってですが、ご紹介を。

9年ぶり!4回目!の公演だからすごい。

激しく笑って、そして最後に暖かい涙がこぼれてしまった。何故だろう?人生の滑稽さというか、それ故に感じる貴重さというか。きっと僕がこう感じてここに文字を書いているような、その感動を感じたのだろう。

ただ、僕にはストーリーを追いかけて、作品を味わうのが結構大変だった。時間軸を掴むのが結構難しい。それでも、最後の歌を聞くと、じわーっと熱いものがこみ上げてくるんだけどね。

でもでも、もっと知りたいと思って2回見に行った。いやーそれだけの価値は十分にありました!

山崎一さん演じるおじいちゃん、大倉孝二さん演じるお父さん、三上市郎さん演じる医者。その個性がすごく、ありえないほど強調されてていい。
ドリフのようなコント!?が前面に出ているんだけど、その背後にちゃんと伝えたいものが込められていると思う。「生きる」という事。

”人生はおそろしい冗談みたいなもの”
それをこれだけやわらか~く伝えることができるのはさすがケラの力なのだろう。僕はこの演劇見れて本当によかったです。また再公演あるといいな。


物語(パンフレットより)
 みのすけ少年は窓のない病院にいた。耳を澄ますと、波の音が聞こえる。どうやら近くには海があるらしい。なぜ自分がここにいるのか、その理由はわからない。毎日、窓のない病室で、みのすけ少年は祖父のことを思い出していた。
 ある日みのすけ少年は、同じ病院の仲間である丸星、杉田、岬、宝田、品川先輩と供に、脱出計画を企てる。ひとつの病室に集まり、思い思いに脱出計画の作戦を発表していくが、集中力と持続力がまったくない彼らの意見がまとまるはずもなく、作戦会議はあらぬ方向へ……。
 そしていよいよ、脱出計画を実行に移すときがやってくる。あらゆる方法を使って脱出を阻止しようとする医者と看護婦たち。何度も捕まりそうになりながらもピンチを乗り越え、ついに海岸にたどり着いたみのすけ少年と仲間たちは思わず叫んだ。「海だ!俺たちは自由だぞ!」
 舞台は変わって、どこにでもありそうなごく普通の家庭。ボケはじめてしまった祖父と、その息子夫婦、高校生の娘、医大を目指して浪人中の居候が同居している。家族は、奇妙な言動を繰り返す祖父の存在をもてあましていた。ボケが進行していく祖父、なにやら悩んでいる様子の娘、それを心配する息子夫婦、受験勉強などする気のないふてぶてしい態度の居候。それぞれが、悩みや不安を抱えながら、めまぐるしく毎日を過ごしていた。
 祖父は、ときどき目をつむったまま動かないことがある。そして、実際には聞こえないはずの波の音に耳を傾けながら、こうつぶやくのだ。「早くこの病院から出してくれないか……。ここにはいないみたいなんだよ、彼女は……」。変わり果てた父親の姿を見て嗚咽する息子。そんな家族の様子を見つめる、みのすけ少年。
 みのすけ少年と仲間たちが脱出の末たどり着いたのは、目指していた海だったのか。祖父がつぶやいた言葉の意味とは。まったく違う時間軸で進むふたつのストーリーが少しずつリンクし始め、やがてひとつの結末へとむかっていく……・。

ザ・ミッドナイトサスペンス2006/07/21 20:34

THE MIDNAIGHT SUSPENSE
メトロニミッツ No.45(7月20日発行)に面白そうな記事が。

「ザ・ミッドナイトサスペンス」という演劇!?(体験型イベント)。

「ザ・ミッドナイトサスペンスとは」(公式HPより)
観る者と演じる者とのボーダーが消滅した時、
       サスペンス劇は現実のミステリーへと変わる
ザ・ミッドナイトサスペンスは、ホテル館内すべてをステージにして、
ホテルで起こった殺人事件の謎を解明していく体験型イベントです。
参加者の中に紛れ込んだ俳優が演じる犯人と容疑者を、あなた自身が捜査するのです。
いつのまにか、あなた自身が重要容疑者にされてしまうかもしれません。
あなたは事件現場を実際に検証し、容疑者、殺人の動機、トリックの解明・・・
と捜査を進めていきます。
情報収集をしているうちに、おぼろげながら犯人像が浮かび上がってきます。
ただし、そう簡単には解りません。紛れ込んでいる犯人もなかなかのツワモノですから・・・。
推理に熱中するにつれ、いつしかあなた自身がサスペンスドラマの登場人物になっていることに気づくでしょう。
なぜなら、事件はあなたの目の前で実際に起こるのですから・・・

果たしてあなたは真犯人を暴くことができるでしょうか?

自分が舞台の中に入り、そのストーリーに入り、それで舞台が完成していくというのはすごく面白い試みだと思う。伝えたいものは、それが伝わり、創る側と観る側とのコミュニケーションで最終的に完成するものなんだと思う。



こんなものも見つけた。8月~開催されるワークショップ形式の展示会。
『Dialog in the Dark 2006 TOKYO』
通常人は5感を駆使して(たぶんそれほど意識はしていないんだろうけど)いろんな者を感じている。そのひとつを敢えてなくした状況でのコミュニケーションを感じることができるのだろう。
人の閃きや創造的なものは、第6感的なもので生まれてくるような気がしている。でも、それは当たり前の価値観を失くした状況で特にその感覚が生まれてくるような気がしている。
そんな特別な環境を体験できる貴重なイベントなのかな。



ついでにもう一つ気になるというか、面白いな~と思っているのが、ルネ・ポレシュというドイツの演出家。NHKの番組で紹介されているのを観てすごく惹かれた。
『皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと』(2006/3/29~4/16)

新しい演劇の世界なんだろう。「ストーリーがない。」この発想の転換と、それを作りあげる監督・演者のパワーはひしひしと生で観ている観客に伝わったんだろうな~と画面越しではあるけど感動した。
《参考》
TOKYO HEADLINE web
日本におけるドイツ
i-morley
君な五番目の季節

開放弦2006/07/20 14:51

開放弦
PARCO劇場で7月14日から公演されている「開放弦」を見てきた。

最後のシーンで「開放弦」というこのタイトルが訴えかけられ、そしてその刹那さが感じられる作品でした。

舞台は2部構成で、前半85分、後半55分。

おそらく、今の世の中で、誰もが持っているよな納得のいかない部分(心?)を、滑稽に表現することで楽しく、分かり易くテーマを伝えてくれているのではないだろうか。

あまり在り得ない出会いから始まるので、この奇妙な空間というか、人と人の関係性がよりいっそう際立ってくる。これがやはり普通な感じだと、このストーリは見ててやりきれなくなるしかなくなるような気がした...

いろんな感情が表現される、でもその集約というのかやはり人間の持つ「愛」という感情は貴重なんだと思いました。人は何かを失うことでしか、知ることができないのかもしれない。その無常観的なものが、悲しげな「開放弦」の音で表現されていたのかな。でも、それは決して後ろ向きなものではなくって、それが生きている事の証と感じる今日この頃です。

あらすじ(パンフレットより)
東京から電車で2時間ほどの農村地帯。
主のいない家の庭で、カモの死骸を間に二人の女が向き合っている。
通りすがりの車が道を歩くカモを轢いてしまったのだ。
必死に謝罪する女・素江と対応する地元の女・依代、そこに素江の夫・進藤も加わるが、3人の会話はとりとめなく、時間は無為に過ぎる。

そこえ結婚式を終えた家の主・遠山と惠子が帰ってくる。
実はこの二人の結婚に、周囲は驚きを隠せないでいた。
つきあっているそぶりどころか、接点すら見当たらない二人が突然「できちゃった婚」をしたのだから。
しかも、その当の二人は結婚式を終えても、なぜかよそよそしい。

この突然の出来事のウラにあるのか、遠山のバンド仲間・門田は事情を知っているらしく、新郎新婦を前に苛立ちを隠そうともしない。
同じくバンドのメンバーで、遠山の元恋人である依代も、夫妻にいぶかしげな視線を向ける。

遠山には莫大な借金があった。
ここは稲作中心の農村地帯で、遠山は自分の水田にカモを放す「カモ農法」を行なっていた。
その成果に期待した周辺の農家も、遠山に続いてカモを水田に放したのだが、このカモが稲の苗まで食べてしまうとんでもないシロモノ。
そのカモによる食害を弁償するために借金を背負ったのだ。

借金と急な結婚の因果関係が、門田をイラつかせる原因だ。
同時に遠山らが趣味でやっていたバンドの曲が、音楽プロデューサー野宮の目に留まる。
曲はネット上で配信され、驚くほどの収益を上げた。
作曲は遠山がギターでしていた。

さまざまな事情が交錯するさなか、惠子と言い争い、家を飛び出した遠山を、素江と新藤の車が轢いてしまう。
右腕を負傷した遠山に代わり、住み込みで農作業を手伝うという進藤夫妻。 実は妻の素江は売れっ子の少女漫画家で、彼女を追って担当編集者・木戸までが遠山家に出入りするようになる。

もつれた思惑を抱えた7人が、ひとつ屋根の下でひしめきあい、言えない本音、隠したい想いに翻弄され、ますます居心地の悪い空気に取り巻かれていく。

遠山は惠子の手を借りて、新しいメロディを奏でようとするが・・・・・・。

作:倉持 裕
演出:G2
音楽:渡辺 香津美
出演:大倉 孝二水野 美紀、京野 ことみ、丸山 智己、伊藤 正之、犬山 イヌコ河原 雅彦

落語2005/12/26 12:15

第二回ほぼ日寄席
第二回ほぼ日寄席に行ってきました。

落語を聞いたことが無い人のための落語ってのが気に入って、今年ブームだったし!(タイガー&ドラゴンの影響もあってのことだろうね~)僕も行ってみようって思った。立川志の輔さんはテレビで見たことがあったものの、落語をやってる所は実は見たことが無かった...

3部構成で、まずは志の輔さんが古典落語「壷算」、そして糸井さんとのこたつトーク、そして最後に志の輔さんの新作。約3時間半の見ごたえ十分のライブだった。これを昼の部もやってのけるんだから相当なパワーだ。第2日本テレビでもこのライブの一部が中継された。

来てたお客さんは、若い人もいたけど、30歳代~の人が多かったんじゃないかな?初めて落語を聴くって人は、僕も含めておそらく半分くらい。僕はさじき席という座布団の席。なんか臨場感があって良かったな。

落語とは?というのを志の輔さんは2つの切り口で説明してくれた。1つは高座に座布団を敷いて正座して噺をするということ。2つは、噺そのもの。ハードとソフトという感じということだ。
で、そのソフトにすごくいいものがたくさんあるって。僕は話を聞いててすごくためになった。言葉と身振り手振り(とは言っても正座したままだけど)でその場にいる人に、イメージを沸かせる。話し手は一人、けど登場人物は複数、そして聞き手にはそれがそれぞれの頭の中では生きた人となって現れてるんだよね~。その場を作り出せるというあのパワーはすごいと思った。
それに、人というものをとことん観察し、考え、その感情を知らないと、なかなかそれを人にイメージさせるということには辿り着かないと思う。これだけの長い歴史があって確立されてきた古典落語は素晴らしいんだろう。人を描くという意味では、文芸のなかでは一番奥が深いのかも。
噺家さんによって、同じ噺でも、全く登場人物の性格や心情が変わってみえるというのも面白い。確かにドラマでもリメイクされたりすると、全然変わるんだけど、それは映像化されていて、見る者にある種考える余地を与えなかったりする。けど、噺は言葉と雰囲気。自由になる。なんかそんな夢のある落語っていいよね。
志の輔さんは、宗教のようなものだって言ってた。人をその世界に引き込むってのは宗教的だよね。
でも、全く何の先入観もなく見に行けて幸せだったかも。単純に楽しめて、また落語ってみてみたい!(ライブでね)と思えたし、もっといろんな噺を聞いてみたいと思った。