杉本博司「本歌取り」2007/01/28 21:55

杉本博司「本歌取り」
滑り込みで、杉本博司「本歌取り」を見てきた。(ギャラリー小柳

リチャード・セラの彫刻作品"JOE"を撮影した白黒写真の作品《JOE》と《観念の形》シリーズの2作品が展示されていた。

杉本博司の作品もギャラリー小柳も初めてだったけど、写真に囲まれて、すごく独特の空気感を感じた。《JOE》は螺旋状の被写体を写しているんだけど、その影には直線を感じた。
時の流れと、そこに生きる自分。僕らは紆余曲折のある人生を歩み、ひょっとしたらいつの間にか無限の螺旋の中に迷い込み今自分がどこにいて、どこに向かっているのかも分からなくなっているのかもしれない。でも時は着実に刻まれている。歩んだ距離と時間の関係性のようなものが螺旋という形にはあるのかもしれない。

《観念の形》シリーズ、負の定曲率曲面という作品は円錐形の作品。その完全なまでの曲面の連続と空に向かう円錐の先端は心を落ち着かせてくれるとともに、なぜか生きる刺激のようなものも与えてくれる。
神経細胞の突起の先端部は成長円錐と呼ばれる円錐状の構造が存在するそうです。僕のニューロンもその円錐形に感応したのかな?(笑)
(参考)円錐形を基本とする自然現象というのも面白い。

会 場:ギャラリー小柳
会 期:2006年11月08日~2007年01月27日

コメント

_ Tak ― 2007/02/03 16:00

こんにちは。
TBありがとうございました。

杉本氏次は何をやってくれるか
楽しみですね!!

_ raccoon ― 2007/02/12 11:18

Takさんこんにちは。こめんとありがとうございました。
そうですね。是非早く見てみたいです。

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_ はろるど・わーど - 2007/02/01 20:44

ギャラリー小柳(中央区銀座1-7-5 小柳ビル8階)
「杉本博司『本歌取り』」
2006/11/8-2007/1/27

ギャラリー小柳で開催中の杉本博司の個展を見てきました。ピューリッツァー財団にあるリチャード・セラの彫刻を撮影した「JOE」が、初めて日本で公開される展覧会です。

コンクリート床が剥き出しになった、半ば無機質な小柳の展示空間には、杉本の「JOE」が良く似合っています。お馴染みの数式を立体化したオブジェ「観念の形」と合わせて、静謐かつ、非感傷的な美の空間が形成されていました。

 

それにしても、この被写体がセラの彫刻であることにはまず気がつきません。形は光と影との交錯に解体され、オブジェの存在感はうっすらと湿り気を帯びたようなモノクロの画面に溶け出しています。ここにセラのオリジナルを謎解き的に見出すことより、まさにそこから「本歌取り」された写真の美感に浸る方が楽しめるのではないかと感じました。その点この展示から受ける、不明瞭で、何やら良く分からないが美しいという感覚は、それこそ杉本の言う「写真が発明された時の『原初の驚き』が体験できるはず。」(asahi.comより。)のイメージに近いようです。確かに、オブジェの本来持っていた意味を微かに保存しながら、それを殆ど未知の新しい美意識にて提示してしまうところには驚きすら感じます。



今月27日までの開催です。(1/13鑑賞)

*本歌取り:すぐれた古歌や詩の語句、発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧。転じて、現代でも絵画や音楽などの芸術作品で、オリジナル作品へのリスペクトから、意識的にそのモチーフを取り入れたものをこう呼ぶ。(Hatena:Keywordから。)

_ 弐代目・青い日記帳  - 2007/02/03 15:59

ギャラリー小柳で開催中の
杉本博司 「本歌取り」展に行って来ました。


「Joe」 Jonathan Safran Foer
When renowned Hiroshi Sugimoto was invited to photograph the Pulitzer oundation for the Arts, St. Louis, his attention immediately focused on an immense steel sculpture, Richard Serra's Joe, one of the artist's torqued spirals, which occupies a small courtyard of the museum. ……

今回の杉本氏の作品は、ピューリッツァー財団(The Pulitzer Foundation for the Arts),ミズーリ(Missouri)での展覧会「Photographs of Joe by Hiroshi Sugimoto」にて発表されたもので、これが日本初公開とのこと。

ピューリッツァー財団のサイトにはこう紹介されています。
When the artist Hiroshi Sugimoto visited the Pulitzer in 2003, he initially intended to take photographs of the building, which was designed by his fellow countryman Tadao Ando. However, he quickly focused on Richard Serra's Joe, a torqued spiral sculpture that was commissioned for the Pulitzer courtyard. Nineteen of these images comprise the exhibition, on view May 12 - October 14, 2006.

因みにピューリッツァー財団(ピューリッツァー美術館)の設計は安藤忠雄氏。

杉本博司ははじめ、安藤の建築をカメラに収めようとこの美術館を訪ねたようです。ところが美術館の中庭にあるリチャード・セラ(Richard Serra)の螺旋型の彫刻を撮ることに…何処まで本当か定かではありませんが、とにかくこうして杉本氏の新作「JOE」が完成。

11月8日から来年1月27日まで、銀座にあるギャラリー小柳(03-3561-1896)にてその作品が公開されています。


杉本博司「JOE」

こちらが「被写体」であるリチャード・セラの「JOE」


写真作品の他にも数理模型も二点展示されていました。
森美術館での「杉本博司展」にも数理模型が展示されていましたが、今回の作品は台座がガラスの塊。超数学的な模型を支える台座が有機的に見えるガラスの塊である点が大変興味深かったです。


Sugimoto: Conceptual Forms
Hiroshi Sugimoto

以下の画像は現在パリのポンピドーセンターの前庭にあるアトリエ・ブランクーシで開催中の「Hiroshi Sugimoto: Mathematical Forms」にて展示中の杉本氏の作品。(Hiroshi Sugimoto at Atelier Brancusi, Centre Pompidou)



それにしてもこの個展のタイトルがニクイです。「本歌取り」とは!!

ギャラリーでもらった杉本氏の文章に今回のリチャード・セラの彫刻の写真を撮るに至った経緯のようなものが書かれています。そして最後に「私の好む作例を一つあげておこう。」と『拾遺和歌集』にある和泉式部(雅致の女式部)が詠んだこの和歌を紹介しています。

  暗きより暗き道にぞ入りぬべき 遥かに照らせ山の端の月

(私の行く末は暗いところからさらに暗いところへと入って行くような気がします、山の端の月よ、どうか私の行く末を遠くから照らして下さい。)

この少女の頃に詠んだ
「この歌は古歌からではなく法華経の一行から取られている。」

 「従 冥 入 於 冥 永 不 聞 仏 名」
 (冥きより冥きに入りて永く仏名を聞かず)

私は和歌は苦手で解釈もろくに出来ません。ただ「本歌取り」というテクニックは大変惹かれるものがあります。単なる引用やパクリではない「本歌取り」。歌を詠む者とそれを受ける者と間に共有できる「状況」が存在します。

時間や空間を越えて共有できる何か(俳人の長谷川櫂氏の言葉を借りるならそれは『場』と呼べるものでしょう)を巧みにそして出来るだけ「分からない」ように(謙虚に)詠み込む古からの技です。

この「分からない」ように(謙虚さ)がポイントです。今回の杉本博司氏の作品を見てもすぐにリチャード・セラの作品だとはたとえセラの作品になじみがあったとしても「分からない」はずです。

ピンボケのモノクロ写真の個展のタイトルに「本歌取り」と付けるセンス。腕だけでは写真かもやっていけない時代です。そして更に今回のギャラリーに設置された家具なども全て杉本氏によるものだそうです。当然ながら照明も大変気を使っている様子です。森美術館での杉本展がそうであったと同じように。


「苔のむすまで」 杉本 博司

そういえば、最近杉本氏は建築にもご関心があるようで。。。
「AERA」にもそんな記事が以前ちらりと載っていました。。。
そんな杉本博司氏と建築家青木淳氏の対談がこちらにあります。

最後に野内良三氏のこの文章を紹介しておきます。

 現代の読者は借用が作品の半分を占めていれば限度を越えていると感じ、「盗作」と判定する。近代文芸の特徴は作者の個性、作品の独創性を尊重することであるから、それは当然の結果だろう。しかしながら、作品の半ばが他人の作品からの借用でもそれを可とする文芸の伝統が、確かにあったのだ。和歌の「本歌取り」の手法だ。このよく知られた手法は独創と盗用の微妙な問題を提起するが、その要諦は創造のための引用ということに尽きるだろう。古来、本歌取りの模範とされてきた藤原定家の歌とその本歌を次に掲げよう。

  駒とめて袖うちはらふ陰もなし佐野のわたりの雪の夕暮れ

  苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに(『万葉集』)

 定家が借りたのは言葉の上では「さののわたり」の六文字にしかすぎないが、この一句は本歌の重要な構成要素であり、その全体を呼び起こすのに十分である。したがって状況の設定はほとんど本歌と代わりがない。変わったのは「雨」が「雪」になった点だ。このわずかな違いが実はこの二つの歌の世界を根本的に異なるものとしてしまうのだ。本歌は雨に濡れる煩わしさ、つまり旅の苦しさをかこつ主観的表白である。それに対して定家の歌は雪に降り込められた馬上の旅人とそれを包み込む、果てしなく拡がる暮れなずむ白銀の世界を喚起する。一幅の大和絵の世界を思わせるしんしんとした美しい情景だ。本歌を取り込むことによって一つの重層的で幽遠な世界が繰り展げられる……。

「レトリック辞典」 野内 良三


以下は六本木ヒルズ、森美術館で開催された「杉本博司展」関連の記事です。

・「杉本博司展」

・「杉本博司展」再び

・屠蘇散は「奥の松」

・最終日の「杉本博司展」
この日に杉本氏ご本人から頂いたサインは「家宝」です。



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