愛の流刑地2007/01/14 01:19

愛の流刑地
愛の流刑地を見てきた。

村尾菊治(豊川悦司)は、恋愛小説のベストセラー作家。ここ最近新作を出せず、妻子とは別居中の45歳。
入江冬香(寺島しのぶ)は、菊治の作品「恋の墓標」が大好きで、菊治のファン。製薬会社に勤める夫と3人の子供を持つごく普通の主婦。

物語は、菊治が冬香をセックスの最中に殺してしまうシーンから始まる。菊治は罪を認めるが殺人ではないと訴える。冬香との出会いから関係を深めていく過程は回想シーンとして描かれる。そして裁判が始まる。

この映画は純愛映画だろうか?菊治と冬香の関係は不倫。だから純愛に一見反するように思える。僕は純愛=プラトニックな恋愛=肉体関係のない恋愛と考えていた。それでしか成立は難しいと。けど、違うのかもしれない。どんな過程を辿ろうとも、精神的な繋がりがあり、ただ純粋に愛するのが純愛なんだよね。

その純愛の中で、何故冬香は「死」を選択、いや望んだのか。

彼女は幸せの絶頂を感じる一方で、不徳を感じ、罪悪感の極大点に達していたのかな。いつも人の行動や感情は二面性があるはず。そうやって世界の均整は保たれているようにも思える。

幸せはいつか崩れてしまうのでないかという不安を生み出す。山の頂にいつまでも留まることはできず、下りるしか生きる術はないのかもしれない。(まぁまた上ればいいのだけど。)

彼女は殺されることを願った。自殺ではないのだ。ここが僕は愛を感じるところ。自殺は自分のために自分が起こす行動。自殺してしまうのはきっと愛を否定することだと思う。
愛は相手に与える事。命をささげることを願い、殺されることで愛を確認し、永遠の愛を手に入れたのだろう。

そんな事を感じさせる冬香の科白で好きなものを。
「今まで生きてきた中で、今日が一番幸せ。もう、死んでもいいくらい…」
「もうだれにもさわれせない」

そうそう、この科白から、「男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる」という言葉を思い出した。そして菊治が書き上げた「虚無と情熱」というタイトルにも通じるものを感じた。

愛の流刑地
監督・脚本:鶴橋 康夫
出演:豊川 悦司、寺島 しのぶ長谷川 京子、仲村 トオルほか
音楽:平井 堅「哀歌(エレジー)」