「生きる」ことの説明2007/02/18 20:26

人は、生き物は、生きている。

こんな当たり前の事をつい忘れて、その大切さを見失う。

「生きる」ということ自体は芸術であり、「生きる」ということの説明が哲学ではないか。

生きている実感を感じるのは、誰かを愛している時。

そして、欲望が生きる根源。

つまり愛は欲望。

ただ何かが欲しいという欲望ではなく、何かをしたいと思う欲望。

人は神ではない。だから過ちを犯す。

過ちを犯さない苦境から逃れるために、過ちは存在するのではないか。

過ちを容認する訳じゃない。

でも、心はどうしようもなくわがままに歩いていく。

それを体が制しているように感じる。

少なくとも今は。

心と体は別だと改めて感じる。

欲望はとめどなく溢れる。

ごめんなさい。

それでも、僕のこころの欲望は膨らみ続ける。

これは愛なんかじゃない。

だって、愛されることを求めているから。

でもその反省は長くは続かない。

あ~成長しない自分が嫌になる。

死ぬまでこんな事繰り返すんだろうね。

僕は、僕が今の生きている様をまだ説明できない。

理由なんてないし。

ただ必死で。

その繰り返しで。

それはそれでいい、と思う。

いまはまだ。

人生の最後に哲学者のように自分を、自分の生き様を語ることができるのかな。

説明できなくたって、一所懸命に生きる美しさが芸術作品のように残ればいいな。

それは説明がなくっても、それだけで、人を感動させることができるんじゃないかな。

そんな素敵な生き方しよう。

コメント

_ Kelly ― 2007/02/20 14:10

すごいですね。そこまで答えが出ているなんて…。
愛されたい。それは極自然の欲望。というより、それ自体が自然なことだと思います。
そして、人を愛することは自分を愛すること(愛されること)への一番の近道なのでしょうね。
愛を与えれば、愛は返ってくるから。
微笑めば、相手からも微笑みが返って来るように。
そして、相手の微笑みを見て、幸せな気持ちになる・・・。愛を感じるから。
最近、そんな風に感じることができるようになったKellyでございます。頭でわかっていても、体でわかるようにようやくなった感じです。でも、いつまで続くか・・・。幸せで在り続けるためには、それを持続させることなのでしょうね。

_ raccoon ― 2007/02/25 14:10

Kellyさんありがとうございました。
答えを出したつもりでも、いつも0.5の中間状態を彷徨い続けてるんです。。。
本当に、幸せであって欲しいと願い、幸せなその微笑みだけで十分なんです。この想いを永久に持てることが自分の幸せになるんでしょうね。

_ Kelly ― 2007/05/21 13:07

raccoonさんって、すごい方ですね。尊敬!!(^^)/

_ raccoon ― 2007/06/10 17:23

そんな、とんでもない。
そうなりたいと願うだけです。油断するとすぐ忘れてしまうから。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://schicksal.asablo.jp/blog/2007/02/18/1193303/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。