僕は何故生きているのだろうか?2005/12/26 00:29

人生とは、生きるとは。

時々そんな事を考えることがある。いつもはただ淡々と生きてるはずなのに、ふとそんな時間が降りてくる。電車で一人で流れる風景を眺めてる時や、駅でベンチに座ってぼーっとしてる時。まだ答えは見えないけど。

僕は以前自分は死ぬ!と思ったことがある。まぁ、まだ結局生きてはいるんだけどね。でも、その時には、「もっと生きたい」と思いはしなかった。なんか、絶望感に満たされて、時間が経つのがただただ怖いってだけで、何も出来なくって...でも、時間が過ぎていくの。

しばらくは、そんな暗い感情に覆われて何もまともに考えられなかったけど、そんな時間を通り過ぎるて落ち着くと、なんか清清しさに似た感情に変わった。街で会う人みんなに挨拶したくなったり、電車の席を譲ったり、困ってそうな人に声をかけてみたり、それまでは偽善っぽくって出来なかった事が自然にできるようになった。好きな人にちゃんと好きって言ったりね。何故かな?
多分、誰かと触れ合って、その人の中にちょっとでも生きる事を望んだのかもしれない。でも、その時はただただ何か自分に出来ることをしたいって思うだけだった。

僕はその時以来、『死』を意識して生きるんじゃなくって、『生』を意識して生きることにした。前向きにね。それまでは、失敗することを恐れて何も出来なかったんだけど、失敗してもいいって。だって、このチャンスを逃すともう自分には二度と出来ないかもって。(この時の気持ちを忘れないようにって、いつも心に言い聞かせてる。実行するのは更に難しいんだけど。)

結局なんで生きてるのかは分からない。でも、幸せであれば、幸せに生きれば、理由は特に必要ないんじゃないかな?って思う。だって生きてるんだからね。

恋愛分子2005/12/02 00:35

イタリアのPavia大学のEnzo Emanueleが、「Raised plasma nerve growth factor levels associated with early-stage romantic love 」という論文を発表したという記事があった。
恋に落ちた時のあの感覚ってのは、NGF(神経成長因子)という体内物質の血中濃度でコントロールされているようだ。 神経成長因子というくらいだ、これが高くなればなるほど、神経が研ぎ澄まされるのだろうか?そうすると、ちょっとした事でもドキドキしちゃうのかも。なんかロマンチックな研究だ。

?でも、その効果は一年らしい...現実に戻るね~

恋を長続きさせるには、片思いが一番いいのではないだろうか?片思いの人のNGFはずーっと高いままかもね。あと、遠距離恋愛になった人のNGFは時間の経過と同じように、距離に比例して減少していくんだろうか...でも、心、思いは距離に比例して高まることもあるよね。
それもひっくるめて、恋ってのはいいものだと思う。

生と死2005/11/22 23:59

僕は今まで友達を2人、自殺で亡くしている。
自分の近くで、友達が突然、居なくなってしまう虚無感を思い出すのは辛い。
最初は、高校に入ってすぐだった。中学の時は、結構仲のいい方だと自分では思ってた。でも、いざ高校に入ると、音信不通といううか、自然に話す機会も無くなり、突然の知らせで、二度とは話せないようになってしまった。

高校で、いじめがあったらしい。

でも、何故か実感がわかなかった記憶がある。何故だろう。実はいまでもそうなんだ。僕は「死」というものを実感できない。まだ、その人は生きているというか、居なくなってしまったということが認識できないのであろう。

そして、時の流れで僕は、その事を忘れていたのだろう。

大学に入学した。そこで、新しい友達に出会った。同じ歌手が好きで、大学でもいつも一緒にいるような友達だった。けど、2年生の夏に彼は、自らの命を絶ってしまった。
何故?
僕は、田舎に帰ってて、その事実を知ったのは、事件のかなり後だった...
彼が、成績の事で悩んでることは知ってたし、その話もしてた。僕はいつも「大丈夫、なんとかなるって」言って、一緒にテスト勉強したりしてた。
成績発表の前日、僕は、気になって彼に電話しようとしたんだ。だけど、何故か彼に遠慮して、電話しなかった。後で聞いたんだけど、彼はその次の日に近くの学校で...

すごく後悔した。何か出来たかもしれないのに。

なんで、彼に連絡することに躊躇したんだろう。話したからって、何か変わったのか?って言われると、それは分からない。けど、自分に出来る最大限の事をしたのか?

それ以来、僕は自分に出来る限りの事をしようと思った。後悔するのは嫌だから。たとえ嫌われても、おせっかいだと言われても。
人のエゴというもの、もしくは自己満足かもしれない。

あと、その時、僕は彼らの分まで生きなきゃって思うよりも、自分が精一杯生きなきゃって思った。それすらできてない自分に腹が立った。まずは、自分の人生をきちんと考えて生きる、それが彼らに出会って得たものに対する恩返しじゃないかって。

存在2005/11/17 23:43

存在するとはどういうことだろう?

僕が意識するから『存在』するという事実が生まれる。つまり意識の中の存在=観念?ということだろうか?ということはインタンジブルなもの。ナイと思えば何も無くなるし、アルと思えば何でも在る。なんかずるい。
まぁ、ヒトは都合のいいようにそこに存在を作り、すべての原因をそこに求めるんだろう。結局は全て自分の作り出した幻想なのかもしれないのにね。

食べ物は、食べるという行為で、体に入り、物質として僕に影響を及ぼす。まぁそうだろう。腐ったものを食べたらお腹壊すのも、まぁ納得できる。けど!例えば好きな人の顔をみたらドキドキする。嫌いな人の顔を見たらムカムカする。人は何か、スペシャルな波動(物質)を発しているんだろうか?でも、そうだったら、誰にでも同じように感じるはずでは?でも、人によって変わるのは、受け取った側がやっぱり決めてるんだろう。感情は自分が都合よく、自分の意思の力で作り出してるんだろう。

なんか、今日電車でアランの「幸福論」を読みながらそんな事を考えてた。

進化2005/11/17 01:42

ロイターで、「ダーウィンの進化論、鳥インフルエンザまん延防止に効果も」というニュースがあった。
ニューヨークのアメリカ自然史博物館でダーウィン展というのが開催されるらしい。

まぁ、確かに全く役に立たないとは思わないけど、本当に有効なんだろうか?進化というのは、予測できるのかな?であればヒトは作られた存在で、その先には何があるのだろうか?それでも、あらゆる生き物には、平等に死が訪れるのだろうか?
僕は、老化と進化の違いが未だに明確に理解できていない。

一日2005/11/14 11:00

時の流れに最初に気づいた人は誰だろう?

僕は生まれて、時間は過ぎるものと教えられたから知ってる。けど、そんな概念すらなかった時代もあったのでは?それに、形のないものになんで単位を付けようって思ったのか。

1秒の長さ

不思議だな?と思って、調べてみるとこの単位ができたのは、古代バビロニア文明の時代らしい。 こどもセイコーのホームページに結構詳しく書いてある。バビロニアの人は、時間を決めて何をしたかったんだろう。

そもそも、なんで60進法なんてことを考えたんだろう。僕は10進法の世界で育ってきたから、なんで1日が24時間か、1時間が60分か、1分が60秒かなんとなく釈然としない。

一瞬という時間は人によって違うのに。