流星ワゴン ― 2006/01/12 02:35
重松清の「流星ワゴン」を読んだ。 「信じることや夢見ることは、未来を持っているひとだけの特権だった。信じていたものに裏切られたり、夢が破れたりすることすら、未来を断ち切られたひとから見れば、それは間違いなく幸福なのだった。」 生きる事に疲れた38歳の男が、マジック(?)にかかり後悔を味わって、後悔を消していく。人生には分かれ道が存在する。でも、人はそれに気付かずに生きてるんだよね。おそらく、必死で生きているその時には、見えなくなるのかな。 自分が知ってて、何かを決断した、もしくは決断しなかった分岐点があると、後悔という想いが生まれる。あの時こーしておけば!ってね。でも、いざその時(分岐点)に戻って、将来起こるべく結果を知っていたとして、自分に未来を変えることができるか。結局何もできないのか。果たして本当に未来が変わるのかどうか。その時自分は... 未来が変わるのか自分が変わるのか。どっちなのかな。 親子(特に父と息子)の微妙で不器用な関係も面白い。親の心子知らず。子の心親知らず?どっちもどっち。相手の事を思えばこそということが、時には恩着せがましく、すごく重圧になることもあるよね。 相手の立場になって考える。難しい。無理かも。だって自分は自分だから。
でも、だからいいんじゃないかな?って思う。それは、相手の事を考えないという意味ではなく、納得できれば、それでいいんじゃないかなって。後悔は尽きないものだから。その全てを受け入れて、それでも納得して前に進んでいければね。 |
||
最近のコメント