そこに在るもの2007/09/11 01:03

僕らは何故気付かないのだろう?

真理を現す事実はいつも目の前にあるのに。観てみないふりをしているのか?観ようとしないのか?...それとも観る力が備わっていないのか?

自分の業の為すものなのか、変わる、変わり続ける真実に惑わされ、僕は未だ真理に辿り着けない...観えない。

なんだってそこに存在し、本当は、無いものはないのかもしれない。

科学だって、全部そこにある真理を追求しようと、見えないものをみようとしているんだよね。

人は生まれ、いろんな事を知り、そうすることで、真理を観る能力を少しずつ失ってしまうのだろうか?今まで見えなかった真実が見えれば見えるほど、真理の遠さを感じる。(..とはいうものの、真理って観えてないんだけど。)

コメント

_ Kelly ― 2007/10/16 17:28

こんにちは。
真理って、第三の眼で見るものなのかも知れませんね。
だから、「これぞ真理だ!」と感じるときは、目で見えるもの(証拠とか)ではなく、「わかる」のではないでしょうか?
たとえば、真理が導く先に「証拠」がある・・・といったように。
でも、RACCOONさんの言われていること、よくわかります。
私も同じことを感じますもの。
それに、頭でわかっていても、それだけでは物足りなく、身体で、体験で、感じて理解したい!っていう気持ちが、私たちみんなの中にはあるのかも知れませんね。

_ raccoon ― 2007/11/05 03:30

こんにちは。Kellyさん、お久しぶりです。
「わかる」って言葉すごく合いますね。"欲"ってあまり良くないもののように言われることもあるんですけど、これって、生きる根本にあるものなんじゃないかな?って思ってて...自分で確かめたいって欲求が抑えられないんですよね。
でも、きっとそういうことでは見えないんでしょうね。そういう人間的な不器用な(?)生き方をしてると、ふと気付く、「わかる」瞬間が来るんでしょうね。
躓いても、転んでも、それでも一所懸命に生きないといけないぞ!って自分に言い聞かせてる今日この頃です。

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