いじめ2006/12/30 00:54

あ~あっという間に今年も終わってしまう。けど、いろんな事がありましたね。
「太田総理と秘書田中ダメな日本を大清掃!幸せ願って大激論SP」日本テレビ)でも、国民の怒り年間ベスト10でも1位になっていたのがいじめ問題。今年の10大ニュースってのでも、だいたいベスト10入りしている。

僕は「いじめ」というものはおそらく無くならないと思う。いや、確信する。それは戦争がなくならないのと同じ、ヒトがヒトたる故に生じるものだと。

個人は個人の考えを持っている一方で、集団に属してしまうと集団心理の働きによって、個人の考え如何に関わらず、意識しない行動を取るものだろう。

でも、なんか矛盾を感じる。個人の意識しない「意思」が、集団になることで生まれるのだろうか?実は個人がその潜在意識として持っているものが表層に出てくるのではないだろうか?責任意識の分散によって、自分の中の悪魔!?が活性化されるみたいに。

「赤信号 みんなで渡れば 恐くない」

ヒトの弱さであり、欲望に支配された理性では逃れきれない性なのだと思う。

でも、「いじめ」というものを肯定する訳ではないですよ。「いじめ」はよくないです。だから、自分という人間を受け入れ、行動を起こす前に自分を省みることができるようになることが必要と思うんです。

よく議論されているのは、誰が悪いか。誰?そんなの、誰か1人のせいじゃないよね。

みんな悪いんだと思う。いじめは僕の幼いころからずーっとある。それで命を亡くした人もいる。何も変わっていないのに、事件がおこると騒ぎ立て、そして時とともに忘れる...

命の大切さを主張し、自殺をしないように訴える。どうかな?僕が自殺しようとする者であれば、僕にはその声は届かないだろう。だって、その時は命の大切さがどうのこうの言われようとも、生きる事が絶望なのだ。死によってしかその絶望から開放される手段がないんだ。

僕だったら、その時に悩みの本質でなくてもいい、けど話せる人が傍にいてくれるだけで、救われるかもしれない。それは、親でも、先生でも、友達でも、恋人でも、子供でも、ひょっとしたらペットや植物、自然かも。それでも、ちょっとでも、自分の中の何かを吐き出せればそれでその時は十分なんだ。それで、一瞬でも何か希望のようなものが見えるかもしれない。

僕らは人間なんです。すごく弱いんです。だからみんなで力を合わせていきていくしかないんです。

そうしたら、「いじめ」のない世界だって作れるのかもしれません。理想は失ってはいけないし、理想だと諦めてしまうとそこで全ては終わってしまいます。少しずつでもそんな世界に近づけて、例えば、来年の今頃、自分の周りから一ついじめが少なくなった!って言えるといいですね。