あおげば尊し2006/09/10 21:19

あおげば尊し
やっとあおげば尊しをレンタルしてきて見た。

原作を読んでしばらくたってから見たんだけど、原作を思い出すことができた。テリー伊藤が主人公としてどうなんだろうと思ったけど、意外にもしっくりきていた。外側を埋める脇役もいい感じにしっくりきてて、ドラマチックではないんだけど、心に届くもののある映画に仕上がっていたと思う。

これが日本映画なんだろうね。たんたんとした生活の中に見える(生きる)人 を写すというのでは、「東京物語」なんかもかぶるイメージがあった。

ちょっと映画の本質とは離れてしまうけど教育について。学校のシーンの中で生徒を「未完成な人間」といい、だから一方的であっても押し付けて教えるべき事があるという部分がある。

僕はこの傲慢な考え方が嫌いだ。だって人間なんて全て未完成なのに。僕はモラルは守るべきだと思う。これって生きていく上で人に尊厳をもって対等に対峙する事が大事だと思うから。

「死体」を見てはいけない理由が説明できないように、説明できない事もたくさんある。一般常識とみなされそれに従うことしかできなくなってきる大人は子供の純粋な疑問に真剣に答えるべきなんじゃないかと思う。答えないのは、自分でも分からないからで、その答えを見つけるための努力を捨ててしまっているからではないだろうか?

正解を求めすぎる風潮が教育を変えられない原因じゃないかな。「法」があるから「犯罪」が起こる。その「法」だって誰かの都合のいいように作られた正解でないものなのかもしれないのに、それを正解と思い込んでしまう。そうするように仕組まれた社会。これを変えていかなければと思う。。。と映画の話からかなりそれてしまった。

映画の話に戻って、僕が映像的に面白かったシーンが、おばあっちゃんが駅の改札に向かって歩いてくるシーン。映画を見るものにとっては、出口と書いてあり、一瞬出口に向かっているかのような錯覚に陥るんだけど、おばあちゃんは入口に向かってるんだよね。

改札って一つで2役。入口と出口の役をしている。こんな当たり前の事、意識してみると面白い。

どこから見るかで同じ物でもそれは変わるんだよね。生きる側から「生」を考えることと、死にゆく側から「生」を考えること。きっと同じものを見ているのに答えは変わってくる気がする。

今の僕は、「死」を意識する(ただし実感はしない)と、人はなぜ生まれ、何のために生きていくのだろうと考えてしまう。「死」を執着点のように考えている。果たして「死」を受け入れた時に自分は何を思い、何を成すのか今はまだ想像もできない。

ひょっとしたら、生きる意味なんてどうでもいいものなのかもしれない。生きているんだから。

監督・脚本:市川 準
出演:テリー 伊藤、薬師丸 ひろ子、加藤 武、麻生 美代子
原作:重松 清 「あおげば尊し」(新潮社刊「卒業」より)

コメント

_ fujisan ― 2006/09/10 23:21

TBありがとうございます。
テリー伊藤・・・しっくり来ましたか?僕はどうも受け入れられなかったな。淡々としすぎというか、現実味が薄く感じましたね。でも、重松作品はいいですよ。DVD疾走をレンタルしてきました。原作もそうだけど、映画としても難しいね。次はいとしのヒナゴンです。

_ kimion20002000 ― 2006/09/11 09:30

TBありがとう。
「入り口」と「出口」についての、考察は、なかなかいいんじゃないですか。「改札」というのも、転換ポイントとしては、暗喩になりますね。

_ raccoon ― 2006/10/02 07:31

fujisanさんコメントありがとうございます。
僕はいつものテリー伊藤のイメージしかもってなかったので、なんとなくこれもありかなって思えました。
僕も疾走以来重松作品にはまってるんです。特に疾走は難しいですね。けど、面白い!

_ raccoon ― 2006/10/02 07:34

kimion20002000さんコメントありがとうございます。
「改札」自体が転換の暗喩か~そうですね。こういったシーンを見て考えさせられるの(妄想かもしれませんが...)結構好きなんですよね。

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_ カノンな日々 - 2006/09/10 21:45

TVプロデューサーであり、毒舌コメンテーターでもあるテリー伊藤さん主演作品ということでも、一部で話題になってるようですが、私としては最近ハマリだしてしまった重松清作品の映画化ということで、これは観に行かなくっちゃっという事で行ってきました。監督は「トニー滝....

_ JAZZと映画・本 - 2006/09/10 23:28

先日「あおげば尊し」という映画を観た。 主演の教師役にテリー伊藤、その妻に薬師丸

_ ダディャーナザン!ナズェミデルンディス!! - 2006/09/10 23:47



あおげば尊し

わが師の恩

教の庭にも

はや 幾年・・・



父は黙ったまま、私たちに最後の授業をする


_ 極私的映画論+α - 2006/09/10 23:47

 小学校の教師をする光一は、末期のガンで入院していた父が余命3ヶ月であると主治医から告げられる。そこで光一たち家族は、父に残された日々を自宅で介護することに決める。一方その頃、光一の受け持つ5年生のクラスではネットの死体写真を見たり斎場に忍び込んだりと死体に強い興味を抱く生徒がいた。死の意味をどうやって生徒たちに教えればいいのか悩む光一。やがて光一は、同じく教師をしていた父に、思い切ってある提案をするのだった。

DVD ★★★

 あなたは卒業式に「あおげば尊し」を歌いましたか?
私は、歌ったことがないんです(たぶん)もともとこの歌は生徒側からの自発的な気持ちで歌わなきゃいけないよね?「和菓子の恩」って変換しちゃうほど「現役」の時には先生への恩なんて・・・え?そんなことはないって?(笑)

 この映画、90分以内にとても重要なテーマを3つも内包しています

★父と息子および家族のこと
★末期がん患者の命のこと
★学校(先生)のこと

 とっても上手くまとめたような印象はあるんですが、実は見たあとにいろいろな疑問を感じるんですね。

 冒頭から大きなテーマを投げかけてきます

「死」とはどういうことか・・・
「死」に興味を持つことは「怖い」ことなのか・・・

 小学校5年生の男の子がネット上での「死体サイト」や「斎場」への立ち寄りなど、「死」についてめちゃ興味を持つんです。そのことを先生たちが「怖い」ことって切り捨てちゃうんですが、この子には秘密があって・・・ってこれについてはここで語るのはやめますが、中学生でも「人は生き返る」なんてことを1割以上が信じてる現在の日本で、「命の尊さ」「生きることの素晴らしさ」を教育していくことは出来ても、「死」については誰も教育することが出来ません。主人公は彼なりに考えた上でのあの方法だったんですが、それとて「教育者」の姿ではなく、末期がん患者の「息子」でしかないんです。もちろんそれが自然の姿であり、生徒の前だからといって「教育者ヅラ」する必要はないんですが、ちょっと主人公の態度に疑問も持った私です。

 あらら・・・あまり書きすぎるとネタバレになるのでこれくらいにしておきますが。ちょっと辛口なことを書きましたがとても「いい映画」です。できたら学校のこと、先生のことをもう少し掘り下げた作品も見てみたいものですね。それだけで充分な内容

_ 平気の平左 - 2006/09/11 01:17

評価:65点

あおげば尊し

重松清小説の映画化。

原作は未読ですが、ちょっと予告を観て気になったので観てみました。


テリー伊藤主演と言うことで、どうなるかと思っていたんですが、演技面では全く問題がありませんでした。

テーマは「死」。

末期がんで余命3ヶ月のテリー伊藤の父親・加藤武の死にゆく様を見せることで、子供に「死ぬとはどういうことか?」を伝えようとする映画です。

テリー伊藤も加藤武も教師という設定です。


「死」を子供にどう説明するか?

「死体」を観てはいけないのは何故か、説明できるか?

なんでホタルすぐ死んでしまうん?

って、いう話なんですけど(一部、間違いがあります)、ここらへんの問いにどう答えるのか?と言う部分ではかなり引き込まれました。

が、これは肝心の答えが・・・あるのかないのか微妙。

っていうか、少なくとも私はこの映画では納得できませんでした。

一番の売りのはずの部分が、ちょっと中途半端だったように思います。

映画で提示されたのは、ごくごく個人的な答えのような気がします。


とは言いつつも、答えを見つけようとしたところはすごいですし、加藤武の演技にはかなりやられました。

生涯一教師、って感じで。

ラストも「死」というテーマの答えではないですが、すごく良かったです。

泣いてしまいました。


それにしても、あおげば尊しっていい歌ですなあ。

ちょっと原作が気になる映画でした。

原作ではどうなっているんでしょう?

_ サーカスな日々 - 2006/09/11 09:49

父さん、死ぬってどういうことなんだろう?
僕らはまだ、曖昧としている。

市川準監督は1948年生まれ。画家志望であったが、東京芸大を目指すも落第。CM制作会社に入社し、「禁煙パイポ」「箪笥にゴン」「エバラ焼肉のたれ」などの話題シリーズのCM制作者として、注目を浴びた。映画への進出は1987年だから、40歳近くの作品となる。富田靖子主演の「BU・SU」である。

この映画の主役として、劇場映画初出演となったテリー伊藤は1949年生まれ。日大闘争で、投石を受け、重傷を負い、左目が斜視となっている。テレビの演出家時代は「鬼の伊藤」とよばれたが、「天才、たけしの元気が出るテレビ!!」などをヒットさせた。ベストセラーとなった「お笑い北朝鮮」など著書も多く、現在も多くの番組でコメンテーターとしても活躍している。

この二人は、ともに東京生まれだが、団塊の世代のほぼ最後にあたる。僕より、数歳、年上である。



原作の重松清は1963年生まれだから、かれらより、一回り以上、年下となる。重松清の「卒業」を題材としながら、僕は、市川準やテリー伊藤あるいは数歳下の僕たちまで半分は含めてもいいのかもしれないが、この世代の「確信がもてない」「言い切ることにためらいがある」といった複雑な世代意識を、この「あおげば尊し」という作品に、強く感じたのだった。

光一(テリー伊藤)は、小学校5年生を担当する教師。父(加藤武)が末期癌であと長くとも余命3ヶ月との宣告を受け、自宅介護を選択する。母(浅生美代子)、妻(薬師丸ひろ子)息子と力をあわせて、無力を感じながらも、父の最期につきあう。季節はまだ、庭の梅の蕾も芽吹いてはいない。



一方、光一も同僚教師も、子供の学級運営にさまざまな悩み事を持っている。特にクラスの田上康弘は、コンピュータ授業で「死体サイト」をみたり、斎場に勝手に入り込んで、通報されたりする。光一は「そんなものは見るな!」と、いうことしかできない。

光一は、延命拒否し、死期が近づいた父親の姿を「課外授業」としてクラスの子供たちに見せることを決意する。驚く母。光一は父に頼む。ほとんど会話もできないでいる父ははっきりいう。「み、せ、て、や、れ」。



頑固な教師であった父。どこの学校にもいたであろう「煙たがられる」教師。父には、教師であることがすべてであった。しかし、年賀状も来ない

_ ins Kino - 2006/09/27 17:41

☆☆☆☆ 2005 監督/市川準 原作/重松清 テリー伊藤 薬師丸ひろ子 死を