東京2005/11/19 23:23

TOKIA(トキア)
11月11日に丸の内にオープンした東京ビルTOKIA(トキア)に行ってきた。

三菱地所が開発した、東京ビル。「TOKIA」って名前は、東京ビルの「TOKYO」に「TOKIMEKI」、そしてこの施設のコンセプトの「All day、Any day、食と音楽と美を楽しめるAmusement」の「A」を組み合わせたもので、「東京・丸の内に新たに生まれた大人のトキメキのあるユートピア(理想郷)」の意が込められているらしい。
最近、東京駅周辺は結構面白くなってきていて、あの場所にしてはなかなかの賑わいだったんじゃないかな。

VIRON(ヴィロン)で「ドーヴベルニュ(?)」というパン(はちみつとブルーチーズ)を食べた。もともとブルーチーズが大好きな僕にとって、お気に入りのパンとなった。

嫌われ松子の一生2005/11/20 19:03

嫌われ松子の一生
川尻松子という女の子の波瀾万丈な人生を描いた映画、「嫌われ松子の一生」

キャストがすごい。中谷美紀柴咲コウ土屋アンナ木村カエラ
僕は原作を読んだことはないけど、平成13年に53歳で荒川の河川敷で死体で発見されるという設定は気になる。でも、シンデレラストーリー。徹底的に不幸だけど、本人はハッピー。う~ん、僕もそうだけど、いつもハッピー、幸せな気分でいるんだよね。傍から見ると不幸に映ってるんだろうか?不幸を不幸に映しつつ、でも、松子のハッピー!な心情をどう映像化するのか楽しみ。

原作:山田宗樹「嫌われ松子の一生()」(幻冬舎文庫)
監督・脚本:中島哲也
配給:東宝
2006年5月公開予定。

metro min. 2005 No.372005/11/20 21:45

metro min. 2005 No.37 11月20日
metro min11月20日号

ボーナスを攻撃的に使い倒してみませんか?
ボーナスの楽しい!?使い方が20個紹介されている。英国王室や タイユヴァンなどの三ツ星レストランで愛用される「エシレバター」「HANWAY」のオーダーメイド傘とか結構面白い。なかでもアメリカのZ Corporationが開発した3Dプリンタというのが気に入った!これを使う機会をあまりイメージできないけど、なんか楽しそう。

それから、藤原新也の「撮りながら話そう」という連載記事があって、これも結構面白かった。
精神科医へのインタビュー。人の死と向き合うこと。本気で考えると、病気になってしまうくらい大変な事だろうね。僕は、医者でないからかもしれないけど、できる限り本気で生きるってことと向き合って生きたい。

LA DONNA2005/11/21 22:23

LA DONNA
森永チョコレート ラドンナ

厚さ2mmのうすーいチョコ。僕は、ビターオランジェを頂いた。ビターチョコにオレンジは定番ながら、ほんのり残るオレンジの香りが心地よい。この薄さで「パリッ」と、つぶつぶのクレープチップも食感も楽しめる。ただ、結構な枚数入ってた...もう少し少なくてもいいんじゃないかな?

「強い」会社は、どこが違うか①2005/11/21 23:00

「強い」会社は、どこが違うか
「強い」会社は、どこが違うか―勝ち続ける企業の“シンプルな法則”

原著者:Laurence Haughton(ローレンス ホートン)
翻訳:高橋 則明

まだ、読んでる途中なんだけど、最近多く見かけるようになった「実行(Execution)」を唄った本だと思う。CAVE(Citizens Against Virtuary Everything)族に勝つという章に面白い話が書いてあった。


一匹のサソリが向こう岸に渡る方法を考えながら、川のほとりを歩いていました。すると、川を泳いで渡ろうとしているキツネに出会いました。サソリはキツネに出会いました。サソリはキツネに、背中に乗せてもらえないかと頼みました。

キツネは言いました。「いやだね-あんたを背中に乗せたら、きっと刺すだろう。そしたら俺は溺れてしまう」

サソリはだいじょうぶだといいました。「そんなことをしたら、僕も溺れるよ」

そこで、キツネは承諾して、サソリを背中に乗せて、川を泳ぎはじめました。でも、川のなかほどまで来たところで、サソリはキツネを刺したのです。チクッという痛みを感じ、毒が効きはじめてきて、キツネは振り返ってサソリに言いました。「どうして刺したんだ?あんただって溺れるのに」

「どうしようもなかったんだよ」とサソリが言いました。

「これが僕の本性なんだ」


人は永遠に本性というのか、煩悩というのか、なかなかそういったものから開放はされないのだろう。まぁ、消し去ったらもはや人ではないのかも。

生と死2005/11/22 23:59

僕は今まで友達を2人、自殺で亡くしている。
自分の近くで、友達が突然、居なくなってしまう虚無感を思い出すのは辛い。
最初は、高校に入ってすぐだった。中学の時は、結構仲のいい方だと自分では思ってた。でも、いざ高校に入ると、音信不通といううか、自然に話す機会も無くなり、突然の知らせで、二度とは話せないようになってしまった。

高校で、いじめがあったらしい。

でも、何故か実感がわかなかった記憶がある。何故だろう。実はいまでもそうなんだ。僕は「死」というものを実感できない。まだ、その人は生きているというか、居なくなってしまったということが認識できないのであろう。

そして、時の流れで僕は、その事を忘れていたのだろう。

大学に入学した。そこで、新しい友達に出会った。同じ歌手が好きで、大学でもいつも一緒にいるような友達だった。けど、2年生の夏に彼は、自らの命を絶ってしまった。
何故?
僕は、田舎に帰ってて、その事実を知ったのは、事件のかなり後だった...
彼が、成績の事で悩んでることは知ってたし、その話もしてた。僕はいつも「大丈夫、なんとかなるって」言って、一緒にテスト勉強したりしてた。
成績発表の前日、僕は、気になって彼に電話しようとしたんだ。だけど、何故か彼に遠慮して、電話しなかった。後で聞いたんだけど、彼はその次の日に近くの学校で...

すごく後悔した。何か出来たかもしれないのに。

なんで、彼に連絡することに躊躇したんだろう。話したからって、何か変わったのか?って言われると、それは分からない。けど、自分に出来る最大限の事をしたのか?

それ以来、僕は自分に出来る限りの事をしようと思った。後悔するのは嫌だから。たとえ嫌われても、おせっかいだと言われても。
人のエゴというもの、もしくは自己満足かもしれない。

あと、その時、僕は彼らの分まで生きなきゃって思うよりも、自分が精一杯生きなきゃって思った。それすらできてない自分に腹が立った。まずは、自分の人生をきちんと考えて生きる、それが彼らに出会って得たものに対する恩返しじゃないかって。